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Re: GNU のライセンスの翻訳について


松澤です。

2012/10/18 Mako N <mako@xxxxxxxxxx>:
> From: Jiro Matsuzawa <jmatsuzawa@xxxxxxxxx>
> Subject: Re: GNU のライセンスの翻訳について
> Date: Wed, 17 Oct 2012 23:26:29 +0900
>
>>> おっしゃっている legal information ってなんですか?
>>> いま問題にしている部分はおっしゃっている legal information ですか?
>> ライセンスは法的な効力をもちますよね。
>> ここらへん参照していただけますか?
>> http://www.gnu.org/licenses/gpl.html
>> http://www.gnu.org/licenses/translations.en.html
>
> ちゃんとお答えいただいていないような。
> ライセンスは法的な効力をもちますよ。はい。
>
それを理解していらっしゃるなら、それ以上の意味は無いので追加で補足することはありません。


>>> いま問題にしている部分が翻訳されていると何が問題ですか?
>> 今回の発端は翻訳にバグがあったということです。
>
> わかりにくい答ですね。
えーと、問題はGNUが提示しているとおりです。
おなじことを改めて記述するので、再度よくお読みください。
2012/10/17 Jiro Matsuzawa <jmatsuzawa@xxxxxxxxx>:
>> 今回の発端は翻訳にバグがあったということです。
>> ライセンス情報にバグが合った場合、GNUでは以下のように述べられています。
>> "Even worse, if an error did slip through, the results could be
>> disastrous for the whole free software community."
>> http://www.gnu.org/licenses/translations.en.html


> 翻訳された内容に誤りがあった、特に今回の誤り、が問題なのですか?
> それとも、翻訳するという行為そのものが問題なのですか?
>
翻訳によるバグが混入すること、
翻訳をする限りバグが混入する可能性を否定できないこと、
翻訳に問題がないことを保証するのは困難であること、
などが翻訳に関わる問題です。
翻訳行為それ自体が問題だとは現時点で申し上げておりません。


>>> 先ほど書いたように、ではなぜこの部分は GNOME では翻訳対象となっているのですか?
>> 翻訳可能としているからでしょう。正確な理由を知りたければ、GNOMEプロジェクトにお問い合わせください。
>
> 私の考えは GNOME の現状と矛盾しませんから、私には問い合わせるとか議論
> する動機がありません。
> 「私はこの部分を翻訳したいと思う。その箇所は翻訳可能になっている。なぜ
> か?」なんて訊いても、訊かれたほうも「?」でしょう。
>
そうですか。。。訊き方なんて、いくらでも思いつくと思うんですが。。。
動機がないも何も、なぜか?とご質問なさったので、GNOME側に問い合わせてはいかがでしょうか、と提案したまでです。
もとより訊く意志がないのだと理解しましたが、それはそれで特にかまいません。。。


> もし「この部分を翻訳すべきではない」との主張なら、GNOME の現状と合致し
> ませんから、むしろここ(日本語のML)ではなく、より上流のほうでそのような
> 主張の方が議論されたらいいのではないでしょうか。
>
>> 翻訳可能であることと、翻訳すべきであることは、まったく別次元でしょう。
>
> これも意味がわかりません。

えーと、文字通りの意味以外はないので、なんら不明な点は無いと思いますが。。。

本当に理解できないということであれば、念のため補足すると、
Makoさんが「翻訳されてしかるべき」と主張されたので、それを受けて
翻訳可能であることと、翻訳すべきであることは、全く別の問題だと申し上げました。
翻訳可能かどうかと、翻訳すべきかどうかは、短絡的に結びつけられませんよ、と。


> いまの問題は「翻訳すべきである」「翻訳しほうがいい」「翻訳しないほうが
> いい」「翻訳すべきではない」のどれだとおっしゃっているのですか?
> あるいはこれ以外の何か?
>
> 「翻訳すべきではない」なら、翻訳可能にする必要はない、というか
> 「翻訳不可」にすべきでは?

翻訳すべきか否かにかかわらず、翻訳可能性を保つことには意味があります。
一例を示すと、GNUは、条件付きでGPLの翻訳を公式に妥当であると認めることを検討しています。
要するにGPLの翻訳が公式に認められる可能性が存在しているということです。
端的には以下のように述べられております。
"We are considering the idea of publishing translations which are
officially valid only for one country." [1]

意味不明だと言われないために、ご理解しやすくなるよう具体的なケースを想定して説明すると、
たとえば、来年フランス語訳が妥当なものと認められたとしましょう。
このときにGNOMEモジュールで翻訳可能性を維持していれば、妥当なフランス語訳をすぐに適用することができます。
万が一「翻訳不可」となっていれば、翻訳を適用するにはプログラムのソースコードにパッチを当てて修正しなければならないということになります。
GNUが翻訳版を公式に認める可能性を公言している以上、GNOME側で翻訳可能性を維持することには意味があります。
では、妥当と認められた翻訳版を適用できる(翻訳可能である)からといって、まだ妥当とは認められていない日本語訳を適用すべきなのでしょうか?
それはまったく別問題でしょう。

要するに、翻訳可能であるからといって翻訳すべきであるとは言えないし、反対に、翻訳すべきでないからといって翻訳不可とすべきとも言えないということです。翻訳可能であるか否かと、翻訳すべきであるか否かは、短絡的に結び付けられません。
それぞれが全く別問題である、というのはこういうことです。


[1] http://www.gnu.org/licenses/gpl-faq.en.html#GPLTranslations


-- 
Jiro Matsuzawa
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